Contents
「給与」は『消費』に過ぎないという残念な会社の実情
(経営者)去年よりも1号俸上げてやったから、それで文句はないだろう
(社員)去年よりも1号俸上がったから納得だ
これはあまり良いとは言えなさそうな関係です。
以前紹介した、イーブンで無機質な関係性をほうふつとさせるからです。
社員をつなぎとめる魅力がお金だけになる可能性があり、ロイヤリティが得られるかどうかが非常に怪しいものになります。
給与は従業員のためだけにあるわけではない
仮に公務員給与と同じように昇給金額を調整して「この期間を超えると旨みが減る」など、給与制度にストーリー性を持たせている会社があるとします。
とすれば、それは社員のモチベーションを高めてより高度な仕事をさせたいからでしょう。
働きが悪い社員をそのまま据え置くだけでも負担が大きいというのに、そのうえ決まりだからと機械的に昇給させられるほど余裕のある会社など、いったいどのくらいあるでしょう。
従業員には成長してもらいたいし、昨日より今日、今日より明日と、日々生産性を上げさせたい。
「この時期の昇給が得になる」といった具合に、給与の上げ幅に旨みを持たる試みは、決して社員へのサービスでやっていることではなく、仕事への活力を誘導するものです。
会社は給与を支払うことでキャッシュが出ていってしまいますが、それをただの報酬対価にするのか、何らかの付加価値を持たせられるかによって、経費負担の跳ね返りには大きな差が生じます。
経営者にしても従業員にしても、せっかくの給与制度の工夫はお互いに使いこなしたほうが良いはずです。
年次昇給を機械的に行ってしまうのは実は大きな損失で、評価と上手く複合させるなど工夫の余地が多いのですが、それがすべて個人財産に紐づくため扱いはセンシティブなものになることは避けられません。
給与制度を根本的に改革するのは難しいので、どうせ皆に不満を持たれるなら定期昇給の微調整を行うだけにするのが説明も一貫しやすいのでそれを続けているという会社も多いのではないでしょうか。
給与制度の改良が上手くいかない理由
会社が社長一人の時代なら給与制度などは不要ですし、従業員を雇っても、ごく少数のうちは社長の目が行き届くので、評価については何とかなります。
しかし、会社が大きくなると部下に任せざるを得ない状況があり得ます。
しかし、任せたはいいが、大盤振る舞いで人件費を増大させたり、逆にあまりケチケチして従業員を腐らせたりしては困るので、評価や給与については最低限のことしかさせたくない。
一方、任せられた社員側の責任も大変重いので、リスクヘッジしておきたい。
そこで、できるだけ人の思惑が介在しない、機械的で無機質な給与体系や評価体制などが築かれ、手直しをしつつ運用していきます。
しかし、どれだけマニュアル通りにしようとも、人の評価には人情やら感情やらが混入します。
評価する側、される側ともに、機械的にやっているだけでは、処理しきれない感情の残りカスのような、独特な不全感が残ります。
テレワーク導入で痛感する「シンパシー不足」
昨今、テレワークの会議が増えるにつれ、一か所に集まって話し合っていた頃との大きな違いとして「微妙なニュアンスが伝わりにくい」「雑談が無くなったことで、心理的なフェーズが合わせづらくなった」といった声があります。
各人バラバラな感性やリズムによるギャップを、”雑談に込められた言外のコミュニケーション”で埋めてきたことが露わになってきています。
ギャップが埋まらないまま次々と話が進んでいってしまうことは、ストレスになるでしょう。
テレワークの会議でも人間関係にストレスを生じるというのに、より切実な評価や給与についてこのギャップが生じると、会社と社員/上司と部下の間で不満や誤解を生じ、不信感あるいは敵意まで発展することは充分に考えられることです。
やはり、型どおりの給与規定だけではなく、社内に不文律のような共通概念を浸透させ、そういった異物を併用しながら何となく納得させるといった対策も必要になってくる。
それは普通、社長にしか作れません。
社員たちは、社長が作った不文律をつぎはぎしながら行っていくことになります。
こうして、評価と給与には、その会社ならではの濃厚な特色が漂うようになります。
単純な他社のベンチマークで対応しきれるものではありません。
企業の栄養失調とはどんな状態か
正規の制度から異物である不文律までを含め、抜本的な給与体系を改めたいと思いつつも手を付けぬまま月日が経ち、ついに引退がチラついてくる創業経営者がいます。
給与改革というのは重要な事項ですが、そう思いつつ為されないことが多い。
スティーブン・R・コヴィーの「7つの習慣」で言われる「重要だが緊急ではない」に分類されがちなこの事項については、たいていは経営者の頭の中だけで堂々巡りを繰り返します。
「既存制度のマイナーチェンジか?新たな制度にフルモデルチェンジか?」
「専門家に相談すべきか?コンサルタントは頼りになるか?」
そして構想だけは何とか立ったとしても、次の問題として、
「実行を任せるべき社員は誰が最適か?」
ここは悩みどころです。
人事部などの専門組織を有する企業ならともかく、まだそこに至っていない会社もたくさんあります。
そこで、思い切ってアプローチを変え、「食物と栄養」といった角度から給与というものを見てみましょう。
カネはカロリーにはなるが、栄養素にはならない
上白糖や食塩、白米や薄力粉など、精製され栄養素が削られた食材に偏ると、長い年月の間に身体のバランスを崩してしまうと言われています。
これを「体内に入った食物の恒常性が要因」とした意見もあります。
要するに食物が、精製によって欠損した部分を補うべく、ヒトの体内に存在する栄養素を利用してしまうので、身体は逆に栄養素を失ってしまう、と。
むろん、この真否はわかりません。
体内に摂取された後の食物にそんな力はあるのか?
「キレート作用」などという現象と結び付ければ理屈が成立する気もするが、それは真実なのか?
精製された食品と人体との関係ではまだまだ謎が多く、一概にこうだと決めつけるには時期尚早な感もありますが、会社と社員の関係、社員と給与の関係において、これは使える考え方です。
社員の働く糧である給与を、精製された食品を与えるかのように、機械的な制度だけで押し通すと、カネ(カロリー)だけは与えるが働き甲斐や活力(栄養素)は提供しないまま年月が経過し、栄養失調に陥る。
そして、型どおりの給与制度では不満を吸収しきれないため適用した例外的な不文律は薬物のようなもので、本来の目的は「一時しのぎ」だったはず。
本当は<医食同源>に生活を切り替えて(給与制度の抜本的見直しで)解消するはずの栄養失調状態が慢性化し、”一見便利な薬物の長期服用”のあげく、健康な身体の機能が失われ、修復不可能になってしまう。
薬物で保たせていることに気づけず、体調は万全だと勘違いしている。
だから、大事な勝負どころでなぜか望みどおりの力が出せないことが「努力不足」「実力不足」に思えて焦りや憤りを感じる。
社長(あるいは上司)は、社員の能力不足や怠慢を叱るが、本当の原因は会社の栄養失調かもしれません。
自社にあるはずの栄養素が正しく供給されず、栄養素が抜け落ちた「空のカロリー」ばかりを社員に与え続けていれば、当然の結果と言えます。
ゲームの魅力(やりがい)と仕事の魅力(お金)
働き甲斐があるから努力し、その結果が収入へ跳ね返るのが、仕事の張り合いのひとつではないでしょうか。
「自分の部下にも、この『働き甲斐』を持たせたい」と思う方は多いでしょう。
しかし、部下たちのプロ意識が極まって、自分の事業で稼ぐ魅力を知り、次々と独立したら、優秀な人材ほど会社を離れてしまう……。
だから、経営者用とは違う「従業員用の仕事のやりがい」が必要になります。
達成基準(評価)と報酬(給与)を用意し、その運用のために作られるのが給与制度です。
一定の基準を達成したと認められれば、決まったインセンティブが得られる。
達成には相応の難易度が課せられるが、実戦で腕を上げつつ何度も挑戦し、見返りを得るまでのプロセスを楽しむ。
仲間と情報共有や協同をし、ときに競い合う。
そうやって仕事を楽しめる環境というのは、ゲームに似ていると思うのです。
やりがいだけでは生きていけない。やはり金が要る
ドラクエやモンハンなどの人気ゲームの多くは、熱狂的ファンや長期プレイヤーを多数擁しています。
作りこまれたストーリーや世界観だけでなく、すでに歴史や伝統までを持ち合わせていて、文化と言ってよいくらい世の中に浸透している。
「ここまで成り立ちがしっかりしているなら、この『世界』で『仕事』をして生きていきたい」
もしも、倒したモンスターや見つけた宝に応じて実際の通帳残高が増え、それで生活できたらどんなに充実した人生を送れるだろうか?
しかし、仮想世界での出来事ですからそんなわけにはいきません。
どれだけ夢を見せられ、ゲームに熱中したところで、プレイヤーはしょせん消費者ですからそれは夢物語です。
ゲームプレイヤーは、働き甲斐(栄養素)は得られても収入(カロリー)は得られません。