癒しが必要なほどツラい職場環境のままで良いのか?

雑談から始めましょう
それも、うんと安っぽい雑談です。

人の感情に響きやすいのは、
高尚な哲学や精緻な論理ではなく
安っぽい日常感覚の世間話であることが多い。

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”職場環境” も立派な ”地球環境問題”

「公害問題」が取り沙汰されていた時代は、もっぱら空気や水や土壌の汚れが指摘されていました。

しかしそれが、「環境問題」として取り上げられるようになると、生き方にスポットがあたるようになりました。

『エコ』とか『省エネ』などはひとり一人の生活習慣がイメージされやすいし、『レジ袋有料化』なんかはまさに日常の消費行動そのものと言えます。

ならば、勤め人が働く職場の環境だって立派な環境問題。
従業員同士の関係性で良くない点があるなら改善し、快適に過ごしていきたい。

当然、会社との関係が悪くない状態であることがその前提です。
「会社はブラックだけど、同僚が優しいから自分だけ抜けるなんてできない」
なんてのは論外です。

弱者によって癒される仕組み

毎日の仕事の中で発生する数々の感情で心が傷ついたり、歪んだりしてしまうならば、早くそのことに気づかねばなりません。

気づかずに家に持ち帰ってしまうと、傾いたバランスのまま私生活が営まれることになります。

もしも傾いたバランスのまま次の日に持ち越し続けていると、そのうち心身を病むことになるでしょう。

普通は、無意識のはけ口を見つけ、元のバランスに戻そうとする。

そこで登場するのは”弱者”

職場では上司の目や、気まぐれな同僚、文句を言って働かない後輩などに翻弄される。
それらの人たちは「コントロール不能な相手(強者)」です。

ペットなら、飼い主が用意した飼育環境の範囲にとどまり、ご飯をくれて遊んでくれる飼い主ひとすじに、すべての思いを振り向けてくれる。

だから「ペットに癒される」となる人が多いし、その分野の産業が活発になっていくのでしょう。

コントロールが利かない【家庭内の弱者】をどう扱うか?

ペットにも自我や、個体が持つその種ならではの習性があります。

飼い主の意図に反してそれらの行動をとっても、「そういう生き物だから」と受け入れ、可愛がることができれば”ただただ癒しをもたらしてくれる存在”のポジションは揺るがない。

コントロール不可の”種の習性”までが込みで「コントロールできている」と言えます。

問題なのは、自我を持っていて、コントロールが利かない【家庭内の弱者】と向き合うとき……

我が子を、ペットを可愛がるかのように接し、やがてその子に年相応の自我が育って、親の言うことに従わなくなってきたと思しき頃に、悲惨な事件が起こることがあります。

大人と呼ぶには未成熟な親が、子供の”飼育”じゃなく”教育”と向き合わなければならないときの、こうした事件に眉を顰めることが増えてくると、子どもへの虐待と聞くと反射的に「未熟な親」を想像してしまうかもしれない。

しかし、最初から無責任で残忍な性質を持っていたのではなく、真摯に子育てに取り組もうと考えている人でも、職場環境で生じてしまった心の歪みを、家庭内の弱者相手にはけ口にしてしまうことはあるかもしれない。

そうやって幼少期にひどい体験をした子供たちが、成長して作る社会のことを想像すると、やはり【職場環境は地球環境問題】と言わざるを得ないと思います。