「戦略的パワーユーザー」カテゴリーアーカイブ

<第19回>デキるサラリーマンの予測力(9)

若いときだけ通用する『範囲の狭い予測力』で、目の前の作業能力を向上させるタイプはせいぜい20代~30代前半までが旬であり、予測力の範囲を広げていく努力をしないとやがてはお荷物扱いされると、前々回から述べています。

目の前の作業をこなすための高い能力は、あくまでも期間限定のビギナー技。“ちょっと高度な繰り返し作業”にすぎません。

30代後半からは「その場で複数の条件を瞬時に組み上げ、『次の新しい流れ』を創造し、対処の手段を講じる」といった、創造脳での判断が求められるようになってきます。
これが次々に行えるようになると、頭の良さのアピールとなり、40代以降に求められる高度な役割を大いに助けるものになるでしょう。

『次の新しい流れ』 = 『これから起こる現場の出来事』
その判断が『予測』ですので、要はこれが職場でできれば、その判断は『記憶』を源泉にしたものであっても何の問題もありません。

『戦略的パワーユーザー<2>地味なリアリティ(1)』で、「職場内で高評価を受ける働きの中に、特撮ヒーローのアクションをこっそり入れていても、それはビジネススタイルの装飾としてむしろ畏敬の対象になる」と書きましたが、原理はこれと同じです。

記憶で充分。特殊な予知能力だとか超能力と見まがうほどの極端な頭の良さまでは必要としていません。

ドラマなどで、記憶の量で活躍するキャラクターは、「活躍の場」によりゲタを履かせてもらい、やっているのは記憶のアウトプットが大半だとしても、実力以上にカッコ良く描かれるのが常です。

つまり、記憶はそれだけでは見せ場としての魅力はなく、あくまでも今の事態を解決に導いたり、強敵の鼻をあかして戦況をひっくり返すなど『実務に使えてナンボ』であり、効果的に使うためには予測とのセットであることが望ましい。

だからこそ、脳内でも記憶の部位は予測の部位のすぐ近くにあるのでしょう。
脳内を駆けまわって集めなくてもよいよう、倉庫のそばの立地になっているという合理性が見受けられます。

<第18回>デキるサラリーマンの予測力(8)

歳をとり経験も増え、ふと昔を振り返るようになったとします。

「そういえばオレ、若い頃は作業内容が分岐してしまう程度のことを『仕事の幅が広がったぜ』なんて思ってたなぁ。あのくらいのことを『広範囲』と思っていた頃が懐かしい」

当時とは打って変わって仕事の幅が広がり、管理者としての負担が身にしみるようになっています。

作業ボリュームの多さを絶対視していたことを稚拙に感じ、恥ずかしくなるようなら、その人は経験相応に成長したといえます。
作業量の多さに気負って意気揚々と活躍する若手の姿に嫉妬しているようなら、管理者としての成長は全然甘い。
経営陣の期待に応えているとは到底思えません。

常に経営陣をイライラさせている40代以降の“かつてはデキたんだろうなサラリーマン”を何人も知っていますが、彼らは年齢上の現役引退年次が遥か未来であるにもかかわらず、早くも“功労賞”の意味で勲章代わりにポジションを与えられていることに気づいていません。

ビジネス現場においては、功労者の装飾として“顕職に就ける”は有効ですが、実務につけると部下が迷惑するほど老朽化してしまっているなら、その顕職は実務との距離を離しておかなければなりません。

功労者を軽視するわけではありませんが、中小企業にとってのシビアなビジネス現場においては、特にそれが重要です。

だから本来は「実務のポジション」と「功労者を飾る顕職」は兼用すべきではありませんが、上で述べた「40代以降の“かつてはデキたんだろうなサラリーマン”」で、まだ中間管理職レベルのメンバーには『顧問』みたいな顕職はまだ早い。
やはり現場に置いて仕事させないとどうにもならない。残念ではありますが。

ゆえに、40代からの“デキるサラリーマン”というニーズにも対応する『予測力』が求められるはずだと私は考えています。

<第17回>デキるサラリーマンの予測力(7)

前回、狭い範囲の予測力で活躍した若者がその評価に安住し、伸びしろを放棄すると後年苦しくなるという話をしました。

『予測力』と“デキるサラリーマン”の関係性を言い換えると
発揮する予測力の範囲 × 発揮者自身に残っている“現役”の持ち時間 = デキるサラリーマン度
という公式が当てはまる気がします。

残りの持ち時間が少なくなるほど、予測力の影響範囲が広く取られる必要があるということです。

「謀を帷幄の中にめぐらし、千里の外に勝利を決する」という実力ある筆頭軍師が、まだ十代の若さだという敵国の恐ろしさに比べれば、同僚との駆け引きに明け暮れる50代の軍師が筆頭である敵国など、とてもおそるるにに足りません。

年齢とはそんな容赦のない価値判断にさらされることがあるわけです。

若いときは任される内容の(量はともかく)範囲が狭いことが多く、予測の能力が狭いものであっても仕事に活かしやすいことが多い。
同僚の中には予測能力が開花しづらいメンバーも結構いるので、力を少し活かせるだけでも相対的に優秀なほうの扱いを受けられる。

しかし、年次を重ねて相応の年齢や肩書、メンツなどを備え、サラリーマン人生の残り時間が少なくなった頃に至ってなお、若いときと同じ感覚で、目先の作業こそ自分の仕事だと考えているようだと当然ながら視野が狭くなり、図体の割に仕事しないといったふうに、周囲には見えやすくなります。

性格の良さとか上司の引き立てとか、覆い隠してくれるものが通用しない人から順々にメッキがはがれていき、「小さい被乗数(発揮する予測力の範囲)に対して、刻々目減りする乗数(残りの持ち時間)をかけている状況」に直面することになります。

<第16回>デキるサラリーマンの予測力(6)

前回ディスってしまいましたが、実は「知っている範囲内のことならできる人」が使う限定的な『予測力』でも、身に付けさえすれば、それだけでもかなり“デキるサラリーマン”です。
特に20代から30代の前半くらいまでは上司からは認められ、同僚からは頼りにされるので、ついついそのレベルに腰を落ち着けてしまいがちです。

しかし、20年以上ビジネスの現場を見続けていて気付くのですが、若い頃早々にデキる評判を獲得したことに気を良くし、伸びしろを放棄してしまったことで、役職に付いたころからかなり苦しい状況に陥っていく人が大勢います。

「一業務を構成する『作業』の担い手」としての戦力計算対象になっている時期では意気揚々と働けた2~30代から昇華して「経営的な課題解決の担い手」と、いつの間にか会社から自分への戦力計算の評価基準がハイレベルになってしまうのが、サラリーマンの宿命……いや“デキるサラリーマン”の宿命です。

しかし、会社から自分への評価基準が変わったことに気づかない人が多いため、自己評価とのギャップに戸惑って落ち込んだり憤ったりしますが、それは立っているステージが変わったからです。

社長や他の経営陣が、前回説明したような「イレギュラー作業によるほころびの補修程度の仕事」を、『トシ喰った幹部』に求めるか? と考えると答えは明白です。

「その程度のことは、ほかの『トシ喰っても幹部になれてないヤツ』にお茶を濁させておけ(お前はそうじゃないだろ? それともそうなりたいか?)」
と考えるのがビジネスの現場でしょう。

<第15回>デキるサラリーマンの予測力(5)

記憶力を予測力として使いこなすと知的な点が強みとして認識されやすい、ということを前回書きました。

繰り返しますが、職場などで「不測の事態にもかかわらず、まるでそれが最初から計算に入っていたかのような冷静な態度で切り抜ける人」を見て「カッコイイな」と思ったことはないでしょうか?
(この記事を読んでいるあなた自身がそうではないか? という話も、前回しましたね)

今回は、前回『気が利く』『頭の回転が速い』と表現した人のうち、一部の人をディスることになりますので予めご了承ください。

「知っている範囲内のことならできる人」はいたるところにいます。
どこかのケースを今回のことに当てはめて、辻褄を合わせて過去と同じ結果にしつらえるレベルの人は、色々な場所で見つけることができます。もちろん、微調整レベルで、です。

あらかじめ手順書を作り上げてメンバーに訓練まで施しておけるほどの腕前ならばスゴイのですが、そこまで実現できる人はそうそう居るものではない。

つまり、インプットのところで多少のイレギュラーが生じても、何とか調整してオートメーションのラインに乗せてしまい、普段通りの平穏さをキープしてメンバーの心をみだりに振幅させないタイプが「知っている範囲内のことならできる人」です。

“補修”に秀でているというか、既定路線の柱からはみ出したほころびを、もう一度柱に据え付け直す能力であり、『予測』の観点でいえば能力範囲は非常に限定的です。

製造業で例えれば、開発やマーケティングといった華々しい舞台における“スター”というよりも、サービスやメンテナンスにおける“名手”ですから、安定感があると褒めることも当然可能ですし、役にも立っているのですが、「自分も、ソレとアレの知識さえあればいつか同じことができるな」とすんなり思えてしまう程度のレベルとも言えるかもしれません。

それどころか、ラインを根本的に見直すことが急務であるときに、問題点を覆い隠す結果を招き早期発見をさせないデメリットも、こういった『頭の回転が速い』人は抱えることになりますが、この話は別の機会にしましょう。

<第14回>デキるサラリーマンの予測力(4)

新展開に対して冷静沈着で、余裕を持って取り組み、先頭に立ってメンバーを率いている。
あるいはひとり静かに淡々とこなし、常に結果を出している。

こんな具合に仕事している人を見たとき、どんな風に見えますか?
『気が利く』『頭の回転が速い』など、業務内容よりもまずその人固有のイメージが先行し、頭の良さが強みの“知的キャラ”に見えないでしょうか。
あるいはこれを読んでいるあなた自身が周囲からそう思われ、“知的キャラ”の称号を獲得しているかもしれません。

ところでそんなあなた、又はあなたが一目置く人のキャラ構成に一役買っている気働きの質の高さは、“思考”というより“反射”がベースになっていませんか?

ある事態に接した瞬間に、反射のように次の行動が決まっているなど、『予測力』の賜物ではないでしょうか。
過去に経験したパターンを瞬時に当てはめ、合わない点はやはり一瞬で微調整することが、無意識のうちに行われる。
そうしてアウトプットされるものは「思考した結果を予測として出す」でも良いし「前にもこんなことあったな」でも問題はなく、とにかく次の指針を示せて行動に移せればよく、それで人を動かし、結果を出してきたはずです。

ではなぜ、そんなことが自然とできてしまうのでしょうか?
できていない人に対し、どう指導すればそのような力をつけさせることができるでしょうか?

経験情報の格納庫の扱い方 = データベースの活用術、と前回の最後に書きました。

IT技術者の領域と思われるデータベースですが、社内のデータは行動記録の集合体で、ヒトの経験や記憶です。
コンピュータを通すから「自分はIT技術者じゃないから関係ない」と思ってしまいがちですが、条件を取り去ってシンプルにしていくと、ITシステムの本質が見えてきます。

<第13回>デキるサラリーマンの予測力(3)

脳の錯覚を自分に都合よく解釈すると、新展開に対する過度の怯えやためらいから解放され、記憶の定着度が高まり、質を向上させようとモチベーションにもなり得るという話を前回しました。
ニュアンス的に少し言いすぎかもしれませんが、これを、「脳内の地の利を活かした『経験情報の格納庫の扱い方』」と表現してみることにします。

しかし、偶然起きる脳の錯覚現象は意図して起こせるものではなく、それではコンスタントな結果を生むことができない。それでは、表現方法をどんなに工夫したからといって、“デキるサラリーマン”への道しるべにはなり得ません。

もちろん、脳科学の専門家でない私には、錯覚を起こさせる脳内メカニズムなどの知識はありません。
私が提唱するのは、日常的に働く職場のインフラなど、脳の中ではなく外部環境を活用する方法です。

職場内に当たり前に存在するモノの使いようによって、常人の数倍の速度と深さで業務習得が為され、その際の思考パターンのバリエーションや、多様な場面での対人力が磨かれた結果、周囲の評価や評判を得、信用を勝ち取るものです。

四緑文鳥.netの他の記事を読んでいる方なら大体想像がつくと思いますが、「日常的に働く職場のインフラ」とか「職場内に当たり前に存在するもの」と表現しているのは、データベースのことです。
経験情報の格納庫であり、それを扱う能力は「データベースの活用術」を指します。

ただし、『データベース』と言った途端に「自分には無縁」と気持ちを離してしまう方もいると思いますので、手法の話に入る前に、もう少し事前情報を書き加えておきます。

<第12回>デキるサラリーマンの予測力(2)

本稿は職場内での評価を上げるための『予測力』についての論述ですが、まずは脳の話から開始します。

未来を予測する脳の部位は、記憶を蓄えておく部位と距離が近く、デジャヴのような現象はこれに起因すると言われます。

人は、新しい事態に接したとき、まず本能的に危険を避けようとする。
将来の状況をイメージして、それに備えようとするわけです。

そのときに脳内では「予測する部位」が働くのですが、ここでちょっと間違ってすぐ近くにある「記憶の部位」が作用し、「過去の記憶を素に未来を思考する」のではなく「記憶をダイレクトに思考結果としてはじき出す働き」をしてしまうと、未知のことに向き合っているにもかかわらず“経験”を実感してしまう。

過去を探った覚えはないのに瞬時に浮かび上がる既視感。
つまり、考え出した実感はなく、何やら与えられた情報(啓示)のように感じられると、「このシーン、前にも同じことがあった」と錯覚してしまう、という仕掛けのようです。

デジャヴを神秘的なものと信じている人は認めたくない理屈でしょうが、脳内現象にすぎないという意見に私は納得しています。
それよりもこの稿は、「予測力を身に付けてサラリーマンとして出世するには?」が主旨ですから、神秘の力より脳内現象のほうが疑似場面を用意するにはより現実的です。

起きているのが脳の錯覚だとしても、新展開の場面に出くわして皆がこわごわと手探りする中、自分だけは「すでに経験済みの心境」に立ち至ることができれば、落ち着いて事態を眺め、“ためらい”ではなく“慎重に”対応する道が開かれます。

また、「頭に浮かんだ“あやふやな1回目”よりも良い形に仕上げたい」などのモチベーションにつながることもあるし、主観的な経験値が「2」であることから、体験の繰り返しとして記憶への定着度も期待できます。

<第11回>デキるサラリーマンの予測力(1)

『予測力』がビジネスを創造する、と言われます。
マイクロソフト日本法人の社長だった成毛眞さんや、サンマルクホールディングスの片山直之さんなどは、そういった意味のコメントをされています。大事なのは努力よりも予測力だ、と。

それなら、
と、私たちは考えます。

その『予測力』を鍛えることはできないのか?
もしそれが叶うのなら、次のビジネスを築き上げることができる。
新たな市場をつくって、社会に打って出ることだってできる。
四緑文鳥アカデミーの「3ステージ5プロセス」でいうところの“プロデューサー”に相当する働きです。

圧倒的な先駆者利益を手にすることができるでしょう。
だからこそ、予測力を身に付けたい人は多い。

では、どうやったらそれが可能か?

いや、自分は起業までする意思はないし、勤め先の仕事にしても、そこまで投機的なレベルにおいて責任は負いたくない。
そんなことより、今の職場内で「デキるヤツ」として有利なポジションを手にしたいだけだ。

そんなニーズを持つ人が『予測力』を高め、自分への評価を得るにはどんな手段が有効か?
これについて、四緑文鳥的視点で考えてみたいと思います。

<第10回>神は細部に宿り、天才は細部を仕組む

ダイエーとイトーヨーカドー、どちらも同じころから大規模展開をしてきた、日本を代表するスーパーマーケットですが、その趣は大いに異なります。

「売り上げは全てを癒す」と豪語した中内会長が率いたダイエーは、積極的なメディア展開やプロ野球球団の買収など、とかく派手やかな印象を感じさせてきました。

一方、利益重視のイトーヨーカドーといえば、現在も「行ってみヨーカドー」などのCMで知名度は抜群ですが、どちらかというとその子会社であるセブンイレブンの、「コンビニ業界」の先駆けとなった鮮やかなビジネス展開が目を引き、生みの親のほうは比較的控えめな印象があります。

「スーパーマーケット」というカテゴリ自体が世の中に提供する価値は、会社の個性ぐらいではそう大きく変わらない(だからこそ『競合』という言葉が当てはまる)と思いますが、その中で働く人たちにとっては、「個性(戦い方)が違う」というのは運営方法が大きく異なることなので、もし2社間で転職した場合、業界経験はあってもこれまでとは全く違うカルチャーに合わせていく必要があります。

秋山真之は明治35年に海軍大学校の戦術教官になります。年譜によれば34歳頃です。
一方、真之より2歳年上で、山屋他人(やまやたにん)という先輩がいました。変わった名前です。
この人は明治31年、つまり真之より4年早く、32歳で海軍大学校の教官になっています。

山屋他人は日本初ともいえる「海軍戦術」を編み出して普及させた人です。
それは“円戦術”と呼ばれ、敵に対して回り込むように艦隊を運動させて攻撃するというもので、後の日露戦争で単縦陣(一列縦隊)からの“丁字戦法”のもとになったと言われているようですが、どう違うのかが、私にはずっとわかりませんでした。

歴史話によく登場する丁字戦法ばかりが有名で、日本初の海軍戦術を生み出した天才・山屋他人の姿は、謎の“円戦術”と共に、私にとっては長いこと幻の存在だったのです。

しかし、『秋山真之戦術論集』の中で、秋山真之は「“丁字戦法”と“円戦術”とは全く違う」と主張しています。

「敵に対し好位置を占めて有利に戦う条件として、『彼(か)の円戦術のごとく』“距離”を基点に考えてはいけない」と否定的です。
(この『彼の円戦術』という言い回しは他の所でも出てきますので、否定というより「それと比較して」という具合に、引き合いに出して論じるのが目的だったようですので、当時の日本海軍では円戦術がひとつの規範になっていたらしいことがうかがい知れます)

“円戦術”では、最も砲撃しやすい距離に自軍の艦隊をもっていくことを提唱していたようですが、“丁字戦法”では距離の如何を問わず“隊形”を基点に置かねばならないとしています。

つまり、攻撃目標に対して砲を集中しやすい陣形を取ることを重視しており、端的に言えば大砲のフォーメーションが良い感じにさえなれば、距離のほうは照準で合わせるから、戦闘力の4大要素のひとつ『運動力』は距離を保つためではなく、角度を保つために活用するということになります。

当時の新鋭艦同士の戦いでは大砲の性能はほぼ同じであり、「砲撃しやすい距離」は敵味方とも同じになるので、一生懸命動いて有利なポジションをとっても、敵にも同じ利益を与えてしまう。
そのため、“円戦術”は実質的に有利な条件とはならない、というのが秋山真之の分析だったらしく、そのことが簡潔に書かれています。

ダイエーとイトーヨーカドーの話に例えると「売上」が「距離」、「利益」が「隊形(大砲の向き)」といったところでしょうか。
経営上、イトーヨーカドーに対してちょっと分の悪いところがあったダイエーは、対等な叩き合いでは強かったが、多彩な戦い方を支える利益の確保に弱点があったというのが、不振の大本の要因だったのかもしれません。

とにかく、戦術教官が山屋から秋山に変わり、日本海軍の意識は、「敵に対して有効距離を保つ」としていたそれまでの基本的指針とは大きく変わりました。

・・・実は、この稿ではこの後、これを現代風に置き換えて、TVゲームになぞらえて書き進めたりしたのですが、どうにもまとまりが無くなってしまったため割愛します。

それで、こういう「トップの方針転換により日常業務の運用が変わった場合」の企業内の実務担当者の対処法について、少しだけ書きます。

よくある話ですが、大体が急な転換であり、当然、運用変更に伴うマニュアルなどは用意されず、実務担当者たちは日常業務をこなしつつ、「臨時のつもりで」エクセルの列を増やしたり、自分しか意味が分からないセルの色付けをしたり、セルのコメント機能を使ってやたらと書き込んだりして、日々なんとかしのぐことに全力を尽くします。

毎日、次の瞬間未知の何かが起こるやも知れず、常に身構える羽目になり、余力もないので業務プロセスをマニュアルにして標準化を図ったりすることはできません。

つまり、内部統制の天敵である『属人化』が一気に進行します。

上記のエクセルにおける臨時対応のように、スプレッドシートに作成者が間に合わせで追加した、独自の意味や機能が継ぎ足しされ、他の人が見ても理解できなくなるという実例は、皆さんの所でも見渡せば嫌というほどあるのではないでしょうか。

秋山真之がやったように、方針転換した張本人が自ら指導し、思考法から用語の統一まで手を砕くなどというケースは、現代のビジネスパーソンである私たちからしたら実に理想的です。

というか、本来は『当然のこと』です。
現場の実務担当者からしたら、その『当然のこと』はトップがやってくれないと生産性は向上しないというのが当然の言い分です。

一方、経営者からすれば、その『当然のこと』まで自分がやっていたら、会社を切り回せないという切羽詰まった事情があります。

私の感覚では、その中間に立って両者を取り持つ存在こそが『戦略的パワーユーザー』という人種なのです。
要は「仕組を創造する現場感覚」と「仕組を創造するデータベース技術」を併せ持つバランスの持ち主です。

データベースから導き出した定性的な条件を元に現場の方針(全体としての効果的な勝ち方。つまり『戦略』)を創出し、同じくデータベースから導き出した定量的な条件を元に現場の作業手順(繰り返し作業。つまり『戦術』)を構築する人材です。

経営者が、そういう人材をどうやって見つけ出し、育成するかということについて、引き続き表現していこうと思っています。

『秋山真之戦術論集』。改めて紐解いてみると実に面白いのですが、キリが無くなりそうなのでいったん終了します。
すっかり止まっている小説のほうを進めたいと思います。
「競合」に弱い強運経営者の迷走~まだ遅くない、地力の作り方
下町の名工~成長期撤退の美学
これらの展開をお待ちください。