神は細部に宿り、天才は細部を仕組む

ダイエーとイトーヨーカドー、どちらも同じころから大規模展開をしてきた、日本を代表するスーパーマーケットですが、その趣は大いに異なります。

「売り上げは全てを癒す」と豪語した中内会長が率いたダイエーは、積極的なメディア展開やプロ野球球団の買収など、とかく派手やかな印象を世間に感じさせてきました。

一方、利益重視のイトーヨーカドーといえば、知名度は抜群ですが、どちらかというとその子会社のセブンイレブンによる鮮やかなビジネス展開が目を引き、生みの親のほうは比較的控えめな印象があります。

「スーパーマーケット」というカテゴリ自体が世の中に提供する価値は、会社の個性ぐらいではそう大きく変わらないと思いますが、そこで働く人たちにとっては、個性の違いは運営方法の違いでもあるので、もし同業界内で転職した場合、経験はあっても新しい会社のカルチャーに合わせるのは初めてのことになるはずです。

秋山真之は明治35年に海軍大学校の戦術教官になります。年譜によれば34歳頃です。

一方、真之より2歳年上で、山屋他人(やまやたにん)という先輩がいました。変わった名前です。
この人は明治31年、つまり真之より4年早く、32歳で海軍大学校の教官になっています。

山屋他人は日本初ともいえる「海軍戦術」を編み出して普及させた人です。

それは“円戦術”と呼ばれ、敵に対して回り込むように艦隊を運動させて攻撃するというもので、後の日露戦争で単縦陣(一列縦隊)からの“丁字戦法”のもとになったと言われているようですが、どう違うのかが、私にはずっとわかりませんでした。

歴史話によく登場する丁字戦法ばかりが有名で、日本初の海軍戦術を生み出した天才・山屋他人の姿は、謎の“円戦術”と共に、私にとっては長いこと幻の存在だったのです。

『秋山真之戦術論集』の中で、秋山真之は「“丁字戦法”と“円戦術”とは全く違う」と主張しています。

「敵に対し好位置を占めて有利に戦う条件として、『彼(か)の円戦術のごとく』“距離”を基点に考えてはいけない」と否定的です。

(この『彼の円戦術』という言い回しは他の所でも出てきますので、否定というより「それと比較して」という具合に、引き合いに出して論じるのが目的のようであり、当時の日本海軍では円戦術がひとつの規範になっていたらしいことがうかがい知れます)

円戦術では、最も砲撃しやすい距離に自軍の艦隊をもっていくことを提唱していたようですが、丁字戦法では距離の如何を問わず“隊形”を基点に置かねばならないとしています。

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