<第3回>地味なリアリティ(2)

職場でしている日常動作が「特撮由来」だとバレなければ、周囲から一目置かれる存在になれるという話を前回は書きました。
もともとドラマの中でも、「クレバーでクール」を表現する効果を持ったアクションだと思うので、そのマネが板についてくると、実務経験を積んで実力の裏打ちがなされるにつれ、演出効果も高まってきます。
いわば実力に下駄を履かせてもらったようなもので、「良いふうに誤解してくれる周囲の人たち」からの高い評価を受けやすくなり、ポジションアップなどの結果につながることが期待できるというものでした。

今回は『地味なリアリティ』の2回目ですが、逆に派手さについて少しだけ触れておきます。
大人になって「特撮が好き」というとバカにされたり呆れられたりする場合があると前回書きましたが、それは話を受けた側の人が、特撮を非常に単純な子供向け番組と考えてしまう前提があるからでしょう。

つまり、子供の頃の特撮ヒーロー関連の記憶のうち、派手な部分(つまり必殺技とか変身ポーズ)だけがクローズアップされていて、「特撮が好き」という人がいると、無意識にその部分を当てはめて「あんなものが好きなんだ、この人」という判定をしてしまうのかもしれません。まあ、無理もないですね。

おそらく大抵の大人がそうなので、職場で「電王(2007年の作品)」の『オレ、参上』の大見得を切るポーズをやったら一瞬で空気が凍りますが、「555(ファイズ)(2003年の作品)」がファイズショットにメモリを装着し、携帯のエンターを押した後、エネルギー充填を待つ一瞬の「静」に相当する部分などは、職場内で何かの作業になぞらえてやっていても誰にもバレません。
それどころか、特撮好きを蔑む人から見ても、「経験豊富で洗練された業務遂行時の動作の特徴」として、むしろ畏敬の対象になることすらあります。(イヤイヤ、あなたの目の前にいるのは、いい年齢して平成ライダー気取りのオッサンですよ^^y)

当然ですが、特撮番組のヒーローといえども、ただ敵を倒すだけの描写では子供たちからも相手にされません。つまり、お気軽に派手な部分だけを作っていたらストーリーが成立しないので、地味なリアリティを追求する大人の要素がふんだんに盛り込まれなければならないのです。

『戦略的パワーユーザー』と銘打っている稿なので、話をいったん引き戻しますが、「特撮好き」を蔑む人は、派手に怪人を倒すストーリーの繰り返し(つまり戦術)部分の印象が強いのでしょうが、戦術部分をより魅力的にするための設定は非常に多彩です。
戦うシーンを際立たせる『番組全体の効果的な魅せ方(つまり戦略)』を成功させないと、グッズ販売のCMという側面も持つ特撮番組では、販売戦略上の課題をクリアできないからです。

例えば、主人公がどうやって生計を立てているのかは、あまり詳しく描かれませんが、常に底流に存在する問題です。ウルトラシリーズの主人公はほとんどが『地球防衛軍』みたいな組織の一員ですが、仮面ライダーでは主人公のほとんどが一般民間人で、生活感が前面に出てくるだけに、ここが全く描写されないとリアリティが保てません。

ちなみに、仮面ライダーの仕事に給料が支払われていることがはっきりと描写されているのは、私が知る限りでは「剣(ブレイド)(2004年の作品)」だけで、極めて例外です。
大抵は住み込みのアルバイトだったり、面倒を見てくれるオヤッさんのところに居候していたりで、資産家の家に引き取られた「カブト(2006年の作品)」、化け物退治の組織に属している「響鬼(2005年の作品)」、祖父と暮らす高校生の「フォーゼ(2011年の作品)」などの例外もありますが、いずれも人並みの生活が送れるだけの背景が準備されています。また、これに付随して家族や家族同然となる主要な登場人物も決められていきます。

こういった基本設定は、コスチュームや必殺技みたいな『子供向け』のものと比べると非常に地味です。
しかし、派手な業績には縁がなくとも、黙々と果たされなければならない大人の仕事です。

もうひとつ(実際はひとつどころではないでしょうが)私が注目する地味なリアリティは、「主人公は怪人出現をどうやって知るのか」です。
人が襲われているので一刻を争うのですが、私が見ていた「ウィザード(2012年の作品)」までの作品で、警官が主人公だったことはありません。つまり、真っ先に通報が入るという有利な立場ではないのです。

これに関して、最も単純でリアリティを感じないのは
「世界征服をたくらむ悪の秘密結社にとって最も邪魔になる仮面ライダーを真っ先に倒す」
という筋書きにして、ライダーを狙って怪人たちがやってくるという安易な設定です。
ひょっとしたら、昭和のライダーの中にはその主旨でできている作品があったかもしれませんが、現代の作品としては、それでは物足りません。

その設定では主人公はただ怪人がやってくるのを待っていればよく、それならいっそ他人に迷惑がかからないよう、人里離れた離島や山奥にこもっているのが最も合理的ですが、それでは物語になりません。
やはり、主人公は街なかにいて普通の生活を送り、襲われている一般人を守らなければ、『正義の味方』という看板を掲げていられないのです。

刑事を相棒にした「クウガ(2000年の作品)」、父の遺品のバイオリンがひとりでに鳴りだして出動を促す「キバ(2008年の作品)」、怪人に呼応する神秘の力でその出現を察知する「アギト(2001年の作品)」など、組織力、道具、超能力などによって知るというのが一般的で、主人公の仲間が近くにいない襲撃に対しては“ほったらかし”、“やられ放題”を徹底した「555(ファイズ)」などはかなり思い切った設定だったように思えます。

毎シリーズ重複しないように道具立てを考えても、『怪人出現を知る手段』などは本筋ではなく、それでいてメインストーリーに食い込む場面も多いので、結構な「縁の下の力持ち」的な責任も持たされます。

やはり、最大の見せ場である戦闘シーンへの転換点の設定が弱いと、全体の力が弱まってしまうのです。
重要なコネクト部分がギクシャクしていると、効率的に力が伝わらず、実行力が弱まると言い換えれば、色々なことに応用の利く「大人の表現」になります。

たとえば、発生させた力が『推進用として伝わる仕組み』が不十分なら、どれだけエンジン性能が高くても、飛び切り良いタイヤを履いていても、速度という結果にはつながらない、と、自動車のメカニズムの話へスライドさせられます。

企業に例えると、営業だけが強くても管理がザルなら利益が残らず、人事だけ強くても事業インフラがなければ商売にならない、と表現すれば、経営効率や投資などの形で話ができます。

そしていよいよ満を持して、【法人】のみなさん用のたとえですが、【法人】にとって部署は臓器です。
肺ばかりが強くても循環機能が弱ければ酸素の運搬が不十分で、全身の機能が不全になるでしょう。
腸がどんなに強くても胃が弱すぎて咀嚼力が無かったら、おそらく腸は食道と共に消化までを担当する役割を担い、栄養の吸収や免疫機能の中枢としての役割は十分に果たせなくなるでしょう。

では、各部署(臓器)が発揮する専門能力を、社内の適切な場所へ円滑に伝え、内部活動(維持・成長)と外部活動(社会とのつながり)に効果をもたらす要素とは何か?

さすがの私も「それはデータベースだ」とは言いません。
地味な答えですが、『全体として機能しやすい体内環境を作る、生活全般のバランス』が決め手だと思っています。

そして、そのための要素のひとつとしてデータベースを重視しており、その価値を最大限に活かすためには戦略的パワーユーザーという存在が有用だという持論でこのサイトを運営しています。

部署であれ臓器であれ、個性の強いキャラクターを集団の一員としてバランスよく働かせるためには、『好き勝手な必殺技のオンパレード』ではダメで、ベースをしっかり整え、ベース(日常生活)からピーク(戦闘シーン)への“つなぎ”もナチュラルに行うことで、ムダに力を消費することを避ける。
それは人体でも会社事業でも特撮番組でも一緒で、「大人向け」だからレベルが高いとか「子供向け」だからすべてが幼稚だということではなく、根本の土台をしっかりと作りこむことで、「狙ったターゲットに迫る的確な演出」ができ、それを象徴するものとして『地味なリアリティ』について語ってきました。

戦略的パワーユーザーには、この『地味なリアリティ』は非常に重要です。
どちらかというと偏りを追求することで実力を養成する戦術的パワーユーザーとは逆に、バランスをとるために技術力を発揮することが重要になるからです。

一応、『地味なリアリティ』については今回で終了します。
第1回で「戦略とは見えざるもの」と表現しましたが、そういうものを扱うパワーユーザーの姿を形にするために、まだまだ私も模索しながら書いていきたいと思いますので、興味のある【法人】さんは、是非ともお付き合い頂きたいと思っていますのでよろしくお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です